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Posted by たまりば運営事務局 at

2018年10月10日

神々の黄昏

一神教的に神を考えるから大げさになるだけであって、神というのはもっとありふれたものなんじゃないですかね、ってことを路上の祠を見ながら思います。


あるいは、道祖神。いたるところに神がいる。神とされているものの像がある、ということは神がいる、ということだから、私が信じているかいないかという問題ではなく、神はいる。



神は本当にいる。路上のいたるところにいる。山川草木の隙間のあらゆる場所にいる。細部に宿ってもいる。人々の心のなかで信じられるものとしている。死んだと断定されたりするやり方でいる。無神論、というような言葉のなかにさえ、「神」という言葉として、本当にいる。



なんなら、自薦他薦問わず、神になってしまう人間だっている。そんな神は、神として信じない、なんて私が言ったところで、人を神として崇めた人はいるのですし、その神を信じた私たちの国の人たちは、自分では何も考えられなくなってたくさん死んだのです。



私だって何を信じてしまうかわかりません。神というものをなしに生きているつもりが、神を求めているという側面だってあるでしょう。



たとえば、私が志村けんのことを、彼のコントを真に受けて神として信奉していることなどは、隠れキリシタンがそれを隠すように隠しているのですが、志村けんが危険思想の持ち主だった場合、彼を神として崇める私は一体どうなりますか。
http://gcmsdoctor.com/




  


  • Posted by kamiita at 22:07Comments(0)信仰